〜番外1 霧の迷い路〜
昼から降り続いていた雨も、日が落ち、私が訪ねていた知人の家を出る頃には止んでいた。
先ほど日付が変わったような、遅い時刻。
知人は泊まっていくことを勧めてくれたが、私はそれを辞して家に帰ることにした。
この風景が見たかったから。
雨の止んだあとの町には霧がかかっていた。
それほど濃くはない霧だが、200mも先は霧で見えなくなっている。
雨上がりでまだ雲の多い空からは、その切れ目からわずかに月明かりが注ぐ程度。
まあ、視界は悪いが、文明の利器、街灯と言うものがちらほらと点いているおかげで
不自由なく歩くことが出来る。
霧の中まばらに、うつろに、ちらほらと、点く街灯の光は、なにか不思議なのものように見えた。
それは、所在なく漂う魂。
それは、この霧に迷い込む獲物を捕らえるなにかの鋭き眼光。
それは、迷いし旅人を導く道標。
霧のある夜の景色はいつもの町も違うように見えるものだ。
そう、まるで、全く同じ景色でも全く違う世界。
裏側の世界。
常世と現世。
常世とは、なにも遠くかけ離れた世界と言うわけではない。
私達が気づかないだけ。
そこは常に、そばに存在している。
常世と現世は表裏一体なのだから。
不意に、目の前に通行人がいるのに気がついた。
霧のせいで、気づくのが遅れ、危うくぶつかりそうになった。
「あ、失礼…。」
と、慌てて避けた私の目に入った通行人は…
ヒトではなかった。
相手はこちらを一瞥して、また霧の奥へと消えていった。
異形。
常世の住人。
向こうの住人。
霧に惑わされ姿を見せたか、こちらに迷い込んだか。
と、気がついた。
私以外にも通行人がいる。
そして、それらは皆、異形であった。
先に降った雨は境界を綻ばせたのか。
こんなにも、こちらに迷い出ているとは。
いや、むしろ、こうは考えられないだろうか。
迷い込んだのは私のほうだと。霧に迷わされたのは、私の方だと。
ならば、急ぎ戻らなくては、私のいるべき側へ。
こちらは、私がいるべきではない場所。
故に、私の居場所はない。私の家もない。
例え然るべき場所に辿り着いても、そこには私の家はない。
同じ建物がその場所に建っていても、それは私の家ではない。
何故なら、ここは私のいる場所ではないから。
いるべきでない側にその者の居場所、すなわち家は存在しない。
家とは、その者のためのもっとも簡易ではあるが、誰もが使える聖域。結界。
家とは、その者にとって帰るべき場所であり、居ることのできる場所。
故に私は戻らなくてはならない。私のあるべき側へ。
とは言え、その境界が見えるわけではない。強く想うのだ。
向こう側、私にとっての表側を強く想えば、戻ることはできる。
境界の綻んでいる今なら容易く戻れるはず。
しばらく歩いていると、別の通行人が前のほうから歩いてくるのが見えた。
霧のため良く見えないが、それが異形なら私はまだ戻れていないことになる。
しかし、その通行人は人間だった。
どうやら、私は戻って来れたようだ。
ふぅと、思わず息がこぼれる。
無事私は、私の家に帰り着いた。
家に着いてまた、私は安堵のため息を零す。
たまに、ああいった異形が見えることはあるのだが、自分が向こうに迷い込むことになるとは。
だが、表裏一体の世界に迷い込むことは意外と容易だ。
霊的な綻びのある場所なら、それこそ容易に踏み込めるだろう。
だが、ただ興味本位だけで向こうに足を踏み入れたものは、二度とこちらに戻って来れることはない。
実際、向こう側には剣呑が輩もいるようだが、「危険」な場所というわけではない。
私はむしろ、向こう側が好きだ。向こう側が見せるモノ、向こう側に見えるモノに興味は尽きない。
だから、私は語るのだ。向こうの事を。
もし、機会があるなら、また来てはくれないか。私はいつでも、話をしよう。
〜番外1 霧の迷い路〜 終わり
2002/10/03