〜八 流れゆく時、流れゆく記憶〜
記憶。
ヒトの体験せし事の集まり。
記憶。様々な記憶。
それは、辛い記憶もあれば、楽しい記憶もある。
記憶。
かけがえのない、形のない大切なモノ。
ヒトは様々な記憶をもって歩む。
ぎぃぃぃ…。
扉がきしんだ音を立てて開かれる。
この扉が開かれなくなって久しいことを示している。
たくさんの座椅子が並び、50人近くは収容できそうなこの空間。
しかし、この場所は、たった一人のための空間。
そのたった一人のためだけに用意され、
その一人以外、何人たりとも入ることの許されぬ空間。
それが、この空間。
そして、そのたった一人が、今この場所に足を踏み入れた人物。
それは女性であった。
このような暗い空間には似つかわしくない高貴な雰囲気を醸し出している。
彼女は中央の席に腰掛けた。
それを待っていたかのように、室内は暗くなる。
室内の奥には白い大きな布が広がっている。
ここは映写室。
カタカタカタ…。
映写機が古めかしい音をたてフイルムを回し始める。
ジィーー…、という音とともに、映写幕に映像が映し出される。
そこには2人の少年と少女が映っていた。
しかし、映像はノイズ交じりで見づらいものであった。
色も鮮明ではない。音などは入ってもいない。
それは彼女の記憶。
過去の記憶。
かつての彼女と、彼女と共に在った少年との時間の記憶。
記憶・・・いや、ここにあるのはもはや、記録でしかない。
永い時の中にある彼女の中には残っていない。
ただ、こうして流れ出す映像の中のみにしか、その存在を識る(しる)ことのできない記憶。
やがて、映像は暗転し、終わる。
過去の記憶である映像を見ても感慨などは今の彼女には湧かない。
もはや、今の映像は記録でしかないのだから。
ふと、彼女は、今共にある少年を思い出す。
深き、深き深淵に本当の意味を隠し、いや隠させた偽りの少年。
彼はこれから彼女と共に歩むなかで何を見るのか。
彼女に何を見せるのか。
彼女は立ち上がった。室内に明かりが戻る。
そして、彼女は部屋を後にした。
彼女の在るべき時間の元に戻るために。
永い、永い泡沫の夢を見るために。
永い、永い記憶、記録を綴るために。
そして、誰もいなくなった映写室は、再び、暗闇に覆われる。
ただ、再び、この部屋の主がここを訪れることを待つのみ。
彼女に過去を見せる、そのためだけにこの部屋は存在している。
もはや、記録でしかない、記憶とも呼ぶことのできない映像を流すためだけに。
記憶。
記憶は忘れ去られていくもの。
しかし、忘れられるから、ヒトは過去を乗り越えていける。
記憶。
記憶は忘れ去られていくもの。
しかし、決して忘れてはいけない、大切な記憶もある。
〜八 流れゆく時、流れゆく記憶〜 終わり
2002/11/22